2010年09月01日
その理由は
それは
約2ヶ月前
母が他界したからです
母とは
けんかばかりしていて
40過ぎても反抗期だったのですが
唯一感謝してることは
私が幼い頃
なんか
お金はなかったけど
春になれば
「ここの桜見て、枝ぶりが綺麗」
夏になれば
「ほら、立派な入道雲」
秋になれば
「見て見て、綺麗な夕陽」冬になれば
「気持ち悪いくらい赤い椿」
と
お金を払わなくていい
自然の美しさを見せられて
きました
すごく覚えてるのは
母がなぜそんなに感動してるかわからないけど
これが「綺麗」
というものなんだ
と
母の感動のたびに
自分に言い聞かせていました
そうやって
親から綺麗を教えられ
お陰で
今の仕事を天職だと
感じることができています
不思議なのは
こんな
親の死に目にも会えないような
そんな仕事をしていて
母がもしもの時どうなるのか
ずっとそう思っていたのですが
母の死の10日前から
ぱたっと仕事が入らず
見舞なんて
正月以来
行けなかったのに
10日間毎日顔を見ることができ
死に目にも会え
通夜も葬儀もきっちり済ませられ
そして葬儀の翌日から
また
毎日
仕事が入りだしたのです
いっぱいけんかしてきたけど
悔いを残さず
見送ることができました
約2ヶ月前
母が他界したからです
母とは
けんかばかりしていて
40過ぎても反抗期だったのですが
唯一感謝してることは
私が幼い頃
なんか
お金はなかったけど
春になれば
「ここの桜見て、枝ぶりが綺麗」
夏になれば
「ほら、立派な入道雲」
秋になれば
「見て見て、綺麗な夕陽」冬になれば
「気持ち悪いくらい赤い椿」
と
お金を払わなくていい
自然の美しさを見せられて
きました
すごく覚えてるのは
母がなぜそんなに感動してるかわからないけど
これが「綺麗」
というものなんだ
と
母の感動のたびに
自分に言い聞かせていました
そうやって
親から綺麗を教えられ
お陰で
今の仕事を天職だと
感じることができています
不思議なのは
こんな
親の死に目にも会えないような
そんな仕事をしていて
母がもしもの時どうなるのか
ずっとそう思っていたのですが
母の死の10日前から
ぱたっと仕事が入らず
見舞なんて
正月以来
行けなかったのに
10日間毎日顔を見ることができ
死に目にも会え
通夜も葬儀もきっちり済ませられ
そして葬儀の翌日から
また
毎日
仕事が入りだしたのです
いっぱいけんかしてきたけど
悔いを残さず
見送ることができました
Posted by make山田洋子 at
03:13
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